Ads by Google
新しい記事を書く事で広告が消せます。
編集の仕事と不器用な性格に振りまわされる毎日。でも、人生なんだか悪くない。
つい最近まで、「タイプは優しい人」とかいう女友達を、
へぇぇぇ〜、とちょっと斜めから見ていた。
「優しい」オトコなんてうさんくさいし偽善的だし、
結婚したら手のひら返したようにゴーマンでDV的になるに違いない、
くらいに思っていて、もっと「個性的」とか逆に「ジコチューな人が好き」
と言い続けていた。
だから、「優しい」という言葉は長年わたしにとってはぺらぺらの、
その辺に生えている雑草なみの価値しかないものだった。
でも、つい先日、改めて自分のタイプを出張帰りの飛行機の中で考えていたとき、
結論として「優しい人」にたどり着いてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも、なんでそんな分析を飛行機でやっていたかというと、
今年の正月に、そろそろ本気ではやりの「婚活」に取り組もうと、
3カ年計画を立てたのだ・・・。
でも、転職したということもあるがここ半年ちょいはお付き合いもなく。
出会いはなかったわけではないが、ぜんぜんつながらず。
どうして??と自分なりに反省してみたところ、
「好きになった人がタイプ」とか言ってるのが間違っている、とう結論に達した。
もっと具体的に、ターゲットをしぼりこまないと、
獲物もわからないのに狩はできないのも当たり前だ。
いつかは運命の人に・・・なんて姫なことは言ってられん。
というわけで、出張帰りの移動時間に急遽タイプ分析。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
隣のサラリーマンはマンガをよんでいたので、
あまり気にせず手帳にタイプを書き出してみたが、
まったく浮かんでこない。
顔や外見ならいえるのだが、問題は内面。
今までジコチューな人が好き、といっていたのは本当に正しいのか?
だから、好きだった人や付き合った人たちの、
わたしが好きになったワケを突き詰めて考えてみた。
そして、ぐるぐる考えた挙句、出てきたのが「優しい人」。
やや揺れている飛行機の中で、
「あ、わたし、優しいオトコの人が好きなんだ」
一人、ものすごくナットクしていた。
そのとき、「優しい」という言葉は以前とはまったく違った価値、意味をもって
わたしの中に輝いて見えた。
いったい、以前は「優しい」を何だと思っていたんだっけ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「優しい」人、とは、
たとえば、彼女とデートしたらかばんを持ってあげて、
ゴハンに行ったら割り箸を割ってくれたりなんかして、
仕事でつかれたらウンウンと話を聞いてくれて、
ついでに肩までマッサージしてくれちゃったりする。。。
とりあえず、相手にとことん合わせて気を遣う行動をする人。
でも、そんなヤローは主体性はないカメレオンタイプ&内弁慶に違いない!
・・・そう思っていたのだ。
つまりは、何かしら「人のための行為」をする人が
「優しい人」の定義だと思っていた。
でも人の「行為」とは「=本心」ではないこともよくある。
「気に入られたいから」「気を遣ったほうがトクだから」
そんな「偽者の優しさ」でその行為はできているのかもしれないじゃないか。
だから優しい人、なんて信じられない・・・
そんな風に考えていたのだ。
優しさは、「行為」という可視化されたものじゃないとわからない。
でも、「行為」の真偽は本人しかわからない。
だから、「優しさ」なんて信用できない。
そんな三段論法。
それならば、いっそ他人のことなんてまったく気にしないで、
自分の思い通りにジコチューに生きている人のほうが、
裏表なくてさっぱりしているから、安心できる・・・
「ジコチューがタイプ」論もここから来ている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
優しさは「行為」でしか計れない、という第一の理論が、
誤りであることに気づいたとき、「優しさ」の本当の意味が、
ふっとしみ込むように理解できた。
いや、正確にはひとつひとつの行為では計れない、ということだ。
かつてお付き合いをした男性を考えたとき、
結構みなバラバラの性格だったけれど、
一つだけ共通していることがあった。
それは、仕事において誰からも好かれる
「良き上司、良き同僚、良き先輩」である、ということ。
日々、何か具体的な行動をしてくれる、というわけではない。
もちろん、甘い態度というわけでもない。
(直接職場でみたわけではないけど彼らの友人の話をきくと。)
自分のために仕事をしてはいるが、
それと同じように仲間のためにも働くのが当然なのだ。
単独プレーヤーではなく、チームのためにプレイできるムードメーカー。
部下にイヤなことをおしつけて自分はラクをすることだけを
考えている上司や、自分が上司に気に入られることだけを
基準にただ仕事を「やっつける」ような人はよくいる。
それでなくとも、自分のことだけで手一杯で
面倒なことはなるべくさけたいのが人の心。
お付き合いした男性たちは、そうではなく、
仲間と一緒に得る勝利こそが勝利であり、
仲間の笑顔があってこそ楽しく仕事ができる。
相手によって態度を変えず、見返りは求めない。
もちろん、そのスタンスはプライベートでもかわらない。
そんなところが、わたしは好きだったのだし、
それはやはり「優しさ」という言葉で表せるのだと思う。
「優しさ」の本質とは、小手先の行為ではなく、
その人の「生きる姿勢そのもの」なのだ。
イキイキとした瞳や、前向きな姿勢、自然な笑顔で
いっしょにいると「がんばろう」と思える人、
それが「優しい」人なのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、わたしも優しい人になりたい、と思う。
我が我が、で苦しみも喜びも独り占めしてきた。
でも、人間として、やっぱりたくさんの人と人生を重ねあいたい。
喜びも悲しみも分かち合いたいと言うキモチが、
普通の行動を思いやりのあるものに変える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とりあえず、タイプ分析もできたし、
「優しい」メンズを探しつつ、自身も優しさに磨きをかけて、
もっとエネルギッシュに生きていこう。
人間、ぼーっと考え事をさせると、
9割は悲観的なことを考えてしまうらしい。
電車での移動時間や家でだらだら過ごしているとき。
確かにそうかも。
ぐっと飲みこんだ悲しみを、
気がつけばまた反芻している。
未(ひつじ)年だからかもしれない、なんて一人納得したり。
感傷にひたるのは心地よいけど、そんなことで
人生を浪費しているヒマは、もうない。
なんたって、つい先日、記念すべき二十歳!+10歳=Ms.MISOZI.を迎えた。
省エネはやめた。日々の行動では。
もっとエネルギーをもやそう。
カラダもココロも赤く熱して、エンジンが爆発するくらい走りたい。
そのために、2009年2月、ブログ再開。
------------------------------------------------------
たしか最後に書いたのが2008年6月なので8ヶ月くらいか。
その間に、かなり大きな変化があり、バタついていた。
まず、転職活動、そして今の会社に内定。
しかし、当初聞いていた地域ではなく、四国支社に決定。
関西から出ることはないと思っていたのに、本州からでてしまった。
右も左もわからず、知人とて一人もいない四国へ引っ越して、
まったくキャリアのない新たな仕事をスタートしたのが10月。
やりたくて仕方なかった仕事。
それ自体は楽しいけれど、人間関係がニガテなきさらぎは、
ちょっとしたことで落ち込み、ちょっとしたことで救われる日々。
それでも人が、自分が、こんな人生が、
けっこう好きです。
わたしができる、と胸張っていえるのは、「書くこと」だけ。
だから綴ろう。
噛み砕いて消化しきってしまう前に、
日々変化していくこのわたしとわたしを取りまく世界を。
上を見上げていたら、あしたはきっと、虹もみえる。